奈良県明日香村の石舞台近くに「飛鳥藍染織館」はあります。
以前「アラフォー」で紹介させて戴いた渡辺誠弥氏が
1995年に、それまでに収集された藍染の布の魅力を
多くの方に知って貰いたいと開かれた展示館です。
元は造り酒屋だったというその大和棟の館はとても趣があり、
明日香の風景に溶け込み、訪れた人を優しく迎えてくれます。
この藍染館を知るきっかけとなったのは、
NHKのTV「鶴瓶の家族に乾杯」という番組でした!
遡ること6~7年前
明日香村を旅するさだまさしさんが、たまたま訪れた先が
この「飛鳥藍染織館」でした!!
150年前、幕末天保年間に建てられたという
歴史を感じさせるその建物の雰囲気と「珈琲」という文字に
惹かれるようにさださんが足を踏み入れ、珈琲を注文された時、
奥から暖簾をかき分け登場されたのが、
長身の何やら徒者ではない風態の渡辺氏!! でした。
珈琲を飲みながらの歓談を聴いていると、
渡辺氏は、元NHKのアナウンサーと判明!
その上、神官の資格もお持ちで、そこから車でおよそ5分の
稲渕の外れ、飛鳥川の左岸に立つ「飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社」
(御祭神はウスタキヒメノミコト、父神はスサノオ母神はアマテラス、
夫神はオオクニヌシと神々の系譜にあり、宗像三女神の一神
タキリヒメと同神と伝えられる)の宮守りもしていらっしゃるとのこと。
更には蕎麦打ち修行もなさっており、藍染館では
ご自身で打たれるお蕎麦を戴く事も出来るという。
おひとりで、何役をこなされるの?!と驚愕。
やがて、さださんが藍染体験を希望され、
染め上がった自分の作品を空にかざすと、大満足のご様子で
「ん~雅び(みやび)じゃ~(笑い)」と仰ったのです。
すると渡辺氏が間髪置かず、
「さださん、藍は雅び ではなく俚び(さとび)です・・・」
と静かに仰り、その言葉がテロップとして画面に。
辞書には【いなかじみる かざりけのない】とあります。
その「俚び」という言葉が、なんとこの明日香に相応しいこと!!
と、初めて耳にした美しい言葉(日本語)に胸打たれ、心に刻みました。
そして、何故かその時、何の脈絡もないままに、
---私はこの方と、いずれどこかで出会う---
縁も所縁も無い、その日初めてTVで観ただけの人と
いつかめぐり逢うことになる・・・そんな予感めいたものを感じながら
眺めていたのを今でもはっきりと憶えています。
すると、有ろう事か、そのマサカ!!が現実となり、
その翌年、渡辺氏は遥か奈良の都より伯耆の国の珈琲屋吹野に
ある日突然、出現なさったのでした!!
これを「不思議な縁の糸」と云わずして何と云えばいいのでしょうか!!
後に知ることとなるのですが、実はアナウンサー時代に
松江支局に勤務されていた事があり、
その当時の事を憶えていらっしゃる方も多く、また、
藍染の布との出会いも松江時代だったというから、
全く縁が無かったわけではないようです。
円熟した大人でいらっしゃる渡辺氏と、
もう子供ではないけれど、まだ大人にもなりきれていない未熟な私ですが、
いつも「珈琲屋吹野」を気にかけて下さり、叱咤激励されながら
現在もお付き合いを続けさせて戴いています。
多方面に知識豊富で、学ぶところ多く、生き方も前向きで、
今でも「守り」ではなく、「攻め」の態勢でいらっしゃいます。
先日戴いたお便りに、こんな一節がありました。
『命惜しくありません。
それより元気な間の「時」が惜しいです。
この世に何一つ加算せずに死ぬのがイヤです。
とにかく走ります』と・・・
この言葉に渡辺氏の生き方が凝縮されているような気がします。
私の尊敬する人生の大先輩です!!
明日香村には日本の原風景が今も息づいています。
渡辺氏が、終の棲家にここを選ばれた理由がわかるような気がする、
いにしえの里と、美味しいお蕎麦と、渡辺氏のお話を聴きに、
これからも折りある毎に、出かけたいと思っています。
そろそろ石舞台の桜の蕾も、綻び始めているのではないでしょうか?!
皆さんも是非「心のふるさと」を訪ねてみて下さい!!