今日は父の日でしたが、皆さんは「お父さん」とどう過ごしましたか?!
これは「邂逅(かいこう)」と題して9年前、日本海新聞の「手鏡」に
私の父への想いを書かせて戴いたものです。
東郷湖畔のあやめが池に両親を連れて出かけたのは六年前の六月。
そのとき、倭文神社もいいと聞いていたので足を伸ばしてみた。
石段を登りつめると「一ノ宮」とあり、それを見た父が、つかの間足を止めた。
そして鳥居の前に立った時、ずっと昔ここに来た事がある、と言う。
暫く首を捻っていたが、ぼやけていた思い出が少しずつ輪郭を描いていくように
「お前が生まれる時、安産をお願いに来たんだ」と私を見て微笑んだ。
その時まで母も全く知らなかったことだった。
あまり子煩悩でもなかった父が、まだ見ぬ我が子の為に安産祈願など、
信じられないことだった。
父の想いが、たまらなく嬉しくて、胸が熱くなった。
お賽銭を投げ、手を合わせ、溢れそうになる涙を堪えるのが精一杯だったことを
憶えている。
その父が逝って一年が過ぎた。
すべてが嘘のようで、紛れもない現実。
病院への送り迎えをした四年間、三度の入院。自宅で介護した五十日間は無我夢中だった。
救急車で病院へ運び、泊り込みで看た最後の九日間。
点滴で紫色に染まった痛々しい両腕、痩せ細っていく手足。
そしてその朝、私が仮眠から目覚めるのを待っていたかのように逝ってしまった。
この世で父と呼べるたった一人のかけがえのない人を失い、
自分が自分でなくなるほど泣き崩れた永遠の別れ。
葬儀、初七日と、すべてが梅雨と共に行き過ぎ、心に大きな風穴を開けた。
私の助手席で、お気に入りの三橋美智也を聴きながらドライブするのが大好きだった父。
新緑の大山を走ったのが最後となった。
私が撮った笑顔の写真が遺影となり、父の戒名は私のペンネームとなった。
まだ暫くは、泣かずに父を語れそうにない。 雅雲
昨年末、お父さんを突然に亡くされた寧子さん、
半年ではまだまだ悲しみは深く、残されたお母さんを支える事で
精一杯のことと思います。
ゆっくり、ゆっくり、少しずつ、少しずつ、笑顔を取り戻して下さい。
きっと天国で、お父さんはあなたとお母さんを、微笑んで見守っていらっしゃいますから☆
お父さんは、あなたの心の中で永遠に☆
6月23日、父が遠いところへ旅立って今年で10年になります。
未だに、父を語る時には涙が溢れる私です。