拝啓 寒冷の候 皆様には益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。
私こと
この度十二月三十一日付けをもちまして、○○○を退社致しました。
昭和三十九年以来四十五年の長い間公私にわたり一方ならぬご厚情
ご指導を賜わり、今日を迎える事ができました。
謹んで厚くお礼を申し上げます。
退職後は、皆様より賜わりました数々のご教訓と想い出を心の糧と
して、人生を有意義に送りたいものと念じております。
何卒今後とも相変わりませずご指導とご交誼を賜わりますよう
お願い申し上げます。
末筆ながら皆様のご健勝とご多幸を心からお祈りいたしまして、
略儀ながら書中をもってお礼かたがた退職のご挨拶といたします。
敬具
平成二十二年一月吉日
突然届いたこのお便りに、昭和という時代がまたひとつ終わったような
寂しい気持ちになり、暫し呆然としてしまいました。
Iさんはとてもダンディな方で、
珈琲屋吹野が開店してすぐの頃からのお客様でした。
当時は開店時間が8時30分でしたから、
毎朝出社前にお立ち寄り戴いていました。
そうでした・・・あの頃は、同僚の方数人が
毎朝吹野でモーニング珈琲を飲んでからのご出勤~♪ でした。
そうです、Iさん達は吹野の「朝の顔」でした・・・
岡山の備前の陶芸家 故藤原雄さん宅へご案内下さったのもIさんでした。
そこで出会った花器は今でも吹野を華やかに飾ってくれています。
一緒にお酒を呑んだこともありましたね~♪
そうそう、チークダンスを踊ったこともありましたっけ~(^^)
踊った、というより、Iさんのリードに付いて動いていた(^^)
と言った方が正しい表現かもしれません(><)
そして、あれが最初で最後かもしれません~♪♪
第一回目の「紫陽花寄席」の時も、お誘いすると快く参加下さり、
今日まで、本当に親しくお付き合いさせて戴いて来ました。
ここ数年は、吹野閉店後の片付けをしている頃に、
仕事を終えたIさんが吹野の前を通ってお帰りになるという頃合で、
吹野の前に来ると、さり気なくこちらをチラッと見て、
すこし前屈みに歩きながら(おつかれさん~)というように
片手を揚げ、通り過ぎて行かれると、私も中から外に聴こえるように
「お疲れさまでした~♪♪」と大声で手を振るのが慣例となっていました。
時には、閉店後、明日の買い物にスーパーへ向かう私と
帰宅するIさんとが道の途中で出会うということもありました。
そんな時、私はいつもその暗闇の中のシルエットだけで、
遠くからでもIさんだと判りました。
Iさん独特の歩き方だからです(^^)
だから私は遠くからでも「Iさ~ん、お疲れさまでした~」と
近づいてくるシルエットに声を掛け手を振ります(^^)/
「おう~お疲れ!!」といつものように片手を揚げて、
少し立ち話をしたり、時には何やら上着のポケットをゴソゴソし、
お饅頭やらクッキーやらと珍しい御菓子を取り出しては、
「いいものあげる~」と美味しいお裾分けを戴いたりしました。
もしかしたら帰宅車中の虫押さえだったり、
お家の方へのお土産だったかもしれないのに
私が横取りしていまっていたかもしれません。ごめんなさい!!
あちこちの「美味しいお店」情報も沢山戴きました。
私からもお教えする事もあり、お互い新しい店を見つけると
情報交換しあうのも愉しみでした(^^)v
もう、7時以降、手を揚げて「お疲れ~☆」と言い合うことも、
あの独特のシルエットを見つけることも無くなってしまったのですね・・・
Iさん、本当に長い間お疲れさまでした。
○○○と、その社名で連想ゲームをするなら、私は即Iさんの名前を
挙げると思います。
それくらい、素晴らしい営業マンだったと思います。
お正月にいらして下さった時、いつでもスーツ姿のIさんが
私服だったことで、それに気付くべきでした。失礼致しました。
どうぞ、これからは、ゆっくりと第二の人生を愉しんで下さい。
本当に本当に、走り続けた四十五年間、ご苦労様でした~☆☆
そして、ありがとうございました~(^^)
また、時々は珈琲を飲みに来て下さいね☆~☆
美味しいお店情報も、宜しくお願いします(^^)v