「咲」

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先日、懐かしい人がご来店下さいました。

二人連れのひとりが中学校の時の同級生の女子でした!
10年くらい前の同窓会以来・・・だと思います。

一緒にいらっしゃった女性は、時々お出でくださる方で、
その方が、私の同級生のことを
「あんまり顔は似ていないんですが、実の姉です~(笑い)」
と言われた時は、本当に驚きました!!
姉妹と言われても、まだ信じられない程、似ていないお二人でした(笑い)

そしてお帰りの祭、レジ横の柱に飾っている「相田みつお」さんの書に目を止め、
「もし良かったら、知人の書をお店に飾ってもらえないかな~」と言われました。

それがひと月くらい前のことだったと思います。

もう忘れかけていた頃、彼女がその「書」を持ってやって来ました。

和紙の葉書に一文字を墨で書いたものが数十枚と、
タペストリーになったものが2点 でした。

「どう~?!飾ってもらえるかな~?!」と不安げに覗き込む女史・・・

私には、書の批評を出来るような知識はありませんが、
個人的な好みとして、「これいいね~☆」と言える作品が何点かありました。

一枚一枚を手に取り、じっくりと観ている私に女史が
「この書、どんな人が書いてると思う?!」と質問しました。

最初に私が感じた事を正直に口にすれば、
「なにか障害を持った人・・・?!・・・」でしたが、
もしも・・・もしも違っていたら、大変失礼なこと・・・と思い、
その言葉を呑み込み「まだ若い女性・・・?!・・・かな?!」
と明るく応えると、
「う~ん、30代の女性なんだけど・・・ちょっと障害がある人なの・・・」と。

やはり・・・そうでした。

その障害は、「癲癇」でした。

「癲癇」を広辞苑で引いてみると

『発作的に痙攣、意識喪失などの症状を現す疾患。
 脳に外傷、腫瘍などがあって起こる症候性のもの、原因の明らかでない
 真性癲癇とがある。
 後者は、しばしば特有の痴呆などの精神症状を伴う。』

とありました。

女史から聴いた話の限りでは、彼女は「後者」の症状のようでした。
私もこれまで「癲癇」という病の存在は知っていましたが、
実際にそういう知人もいませんし、そういう発作を見たこともありません。
名前は知っていても、現実にどういう病気なのか、
知らない事って、たくさんあるんだな~と
改めて「生きる」ということの大変さを思い知らされた気がしました。

女史もまだ、今まで一度も自分の目の前で
彼女がそういう症状を起こしたところを見た事が無いと言っていました。

ただ、その発作を起こして倒れる度に、たくさんの脳細胞を失うのだそうです。
発作が起こる度に、物凄い数の脳細胞が失ってしまう。

言葉にすると、とても淡々としていますが、
実はとても恐ろしいことが起きているのです。

30代の彼女が、今までに何回発作を起こしたのかは知りません。

その彼女がひと筆ひと筆運んで書いた「書」です。
少しでも、彼女の自立支援になれば・・・と
タペストリー2作を預かり、店内に飾らせて戴いています。

誰かに観て貰えるだけでも、ご本心の「励み」になるそうです。

ご来店の際は、是非、彼女の作品をご覧戴きたいと思います。

私個人的には「咲」という文字が、気に入っています☆


 

「坂の上の雲」

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「坂の上の雲」がドラマになったらしいですね~
と嬉しそうに仰ったのは、毎朝ご登場の老師☆

私も、とっても愉しみにしているのです~☆
司馬遼太郎ファンにはタマラナイ年末の贈りものだと思います。

NHKが3年もかけて製作したというから、期待できる仕上がりかと
益々期待が高まります~♪

秋山好古と真之兄弟と、正岡子規の三人が
四国松山で青春を過ごし、「明治」という時代を生きた物語です。

正岡子規を演じる俳優、香川照之さんの風貌が、
あまりにもご本心そっくりで驚いてしまいます。

お相撲と民謡くらいしかテレビをご覧にならない老師も
愉しみにしていらっしゃる「坂の上の雲」

みなさんも是非ご覧になってみて下さい。

初回は11月29日 日曜日 夜8時からです!!

32年振り?!

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私が若かりし頃は、男子バレーはオリンピックの花形でした~☆ 

「ミュンヘンへの道」なんていう番組が毎週放送されていたくらいです!!
 (因みに私は横田選手のファンでありました♪♪)

ところがこのところ、ず~っと低迷・・・
今回のグラチャンも、私の予想では、
もしかしたら女子はなんとかメダルに手が届くかもしれぬが、
男子は到底無理だろう・・・と思っていました。

その女子が、あともう少し・・・というところで
メダルに届かず、ガックリ・・・

ところが、到底無理!などと始まる前から諦めていた男子が、
なんとなんと、ヨーロッパチャンピオンのポーランドを破り、
エジプトにも、あれよあれよという間に勝ち、
とうとう昨夜はイランにも5セットにまで粘り、勝利してしまいました!!

到底無理!・・・などと暴言を吐き、大変失礼致しました~☆

もしかしたら・・・メダルに手が届く位置に来てしまっています~☆

表彰台に上がるのは、なんと32年ぶり!!となるそうです~☆

平均身長2メートル・・・などというのが当たり前の時代
日本の選手も、結構良い体格をしているのに、
世界と並ぶと小さく見えます。
そんな中で、本当に身体の中にどんな「バネ」を仕込んでいるの?!
と驚かされるようなジャンプをし、弾丸のようなスパイクを
相手コートに叩きつけて、飛び跳ねています!!

ここまで来たら是非、どの色でもいいから
「メダル」を手にして欲しいものです☆

  ♪ガンバレ ニッポン♪

 

女の魅力?!

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先日お客様のKさんとお話をしている時、
近所にエステサロンが出来たということから「エステ」の話になりました。

全身のエステ・・・なんて気持ち良さそうだけれど、
残念ながら私は「美顔」さえ一度も経験が無く、
一度くらいは試してみたいな~なんて言いますと、Kさんが、
「私、実は一度だけ経験したことがあるんですけど、
結局最後に、いろいろな化粧品や美顔器を勧められるんですよ~
最終目的はそれなんだな~って気付いてからは行ってません(笑い)」
と、少しがっかり!!な話を聞かせてくれました。

時代の流れというのでしょうか・・・
かつては「エステサロン」というのは、
大きなメイン通りから一つ入った路地にひっそりとあったそうです。
そこへ入るところを他人に見られたくない・・・
こっそり行きたい場所だったのだそうです。

ところが今は、堂々と行く時代になり、
メイン通りに大きな看板を掲げて営業しているのだそうです。

美しくなりたい・・・という女性の願望を擽るのでしょうね~♪

そんな話をしながら、私は、いつか観た雑誌のキャッチコピーで
「面白いな~☆」と記憶に留めていた言葉を思い出していました・・・

  
   『エステ 一時間五千円
    高野山への癒し旅 一日四千円
    
        知性で磨け 女の魅力』  <南海電鉄>

最初の一杯

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今年も、もう11月中旬となり、残り少なくなりました。

そうなるといつもの事ながら、年末商戦が賑やかになります。
今朝もテレビでは、もう「忘年会」の話題で盛り上がっていました。

どこのお店も、いかにお客様を集客するかで、必死の価格競争のようです。
食べ物も飲み物も299円均一で、とても低価格で忘年会が出来る!!
なんていうお店もありました。

そんな中で、最後に紹介されたのが、「カクテルが半額!」というお店!!
どうしてかというと、そのカクテルを作るのは、
シェイカーを振りだしてまだ3ヶ月という新米のバーテンダー君でした!!

なので、その子の作ったカクテルは半額でサービスします!というのです(笑い)

私は、その新米バーテンダー君にエールを送ると共に、
かつての自分を重ねていました。

それは30年前の東京の珈琲屋での修行時代に遡ります。

当時、新宿に本店、下北沢に支店がありました。
私は、その両方に週の半分ずつ勤務していました。
下北沢は、比較的若い人が多く、学生街の喫茶店という雰囲気でした。

一方新宿は、年齢層も高く、常連の方の中には、
米子では出会えないような著名な方もいらっしゃり、少し緊張しました。

そんな中で、そのバーテンダー君のように、毎日珈琲を淹れる練習をします。
とにかく、練習をしなければ上手になれません。
野球選手が、毎日毎日投げたり、バットを振ったりするのと同じで、
「理屈」では学べませんから、とにかく毎日珈琲を淹れることが重要です。

けれど、スポーツの練習と違い、私たちのように
食べ物や飲み物を作る練習には、必ず作品が残ります。
たとえ美味しくなくとも、材料は無駄には出来ません。
私の修行した珈琲屋さんでは、自分で飲むか、
あるいはスタッフに飲んで戴くか、でした。
先輩に飲んで戴いた時は、その批評も戴けました。

本当に初めのうちは、ただ珈琲色をしたお湯・・・でした(笑い)

マスターや諸先輩方の淹れる珈琲が美味しそうに膨らむのを
気が遠くなるような思いで、羨ましく眺めたものでした。

そんなある日、新宿店で、ご常連のひとりの紳士が私に、
「僕の珈琲、淹れて下さい~」と笑顔で仰るのです。

まだ珈琲屋に入ってひと月くらいの頃だったと思います。

もちろん私は慌てて、とんでもないとご辞退しました。
けれどその老紳士は引きません。そして、
「どんどん淹れないと上手になりませんよ」と優しく、
尻込みする私の背中を押して下さいました。

困った私は、不安な面持ちで隣のマスターの顔を見上げ
助けを求めようとしましたが、そのマスターも
「せっかく、そう言って下さってるんだから、
お言葉に甘えて、飲んで戴きなさい」と促され、
緊張しまくりで、一杯の「珈琲のようなもの」を淹れさせて戴きました。

そんな、遠い記憶が、先日ふと蘇えっていました。

それが、私の拙い珈琲を初めてお金を払って飲んで下さった
記念すべき第一号の方なのです。

その方の名は、神吉拓郎さん と言いました。

かつてはマスターとラグビーをともに愉しまれたお仲間で、
当時(30年前)は、NHKの脚本家でいらした・・・と記憶していたのですが、
定かではないので、このブログを書くにあたり、ネットで検索してみました。

すると、「小説家」「俳人」「随筆家」という肩書き!!
そして、1983年に「私生活」で、第90回の直木賞を
受賞していらっしゃるという方でした!!

珈琲屋吹野がオープンしたのが1981年ですから、
直木賞を受賞されたのは、私が米子へ帰ってからのことのようです。
1928年生まれ、とあるので、私の珈琲を敢えて飲んで下さったのは
神吉さんが51歳の時です。
今思えばまだお若いのに、20代の私にはとても「大人」に見えていました。

1994年にお亡くなりになったという報は、
新聞に写真入で載っていらしたので、記憶に鮮明です。

あの時、神吉さんが私の珈琲を飲んで下さるという勇気ある行動が、
どれ程私に勇気を与えて下さったことか・・・
それからも、時々いらしては、私の珈琲を飲んで下さり、
日々の成長を舌で感じ、励まして下さいました。

今改めて、こころからお礼申し上げます。
あの時の神吉さんの優しい笑顔、忘れません。