珈琲のリサイクル「エコ」!

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朝夕めっきり涼しくなり、少し前まで騒がしく鳴いていた蝉の声が
いつの頃からか秋を想わせる虫の音へと移ろいましたね。

そんな虫の音が聞こえ始めた夕暮れ時でした。
ひとりの見知らぬ御婦人が入って来られました。

「ちょっとお尋ねしますが・・・」と言われるので、
どこかこの辺りへ「尋ね人」があり、見つからず困っていらっしゃるのかと思っていると、
「こちらでは、珈琲のダシガラは、どうしていらっしゃいますか?!」との問い掛け。
「塵として処分していますが・・・」とお応えすると、
「突然で大変申し訳ありませんが、それ、分けて戴けませんか?!」と仰る。

「凄く良い畑の肥料になるんです☆ 他の喫茶店さんからも戴いているんですが、
今の時期、大量に必要で、足りないんです!!
それで、思い切ってこちらにもお願いに立ち寄らせて戴いたんです」と。

さぞかし勇気を振り絞っていらしたのではないかと窺える話し振りでした。

珈琲の「ダシガラ」は予てよりみなさんに所望されます。
畑の肥料に大変良いらしく、方々から好まれ、貰われて行きます。
そういえば、昨年もこの時期、随分通って来られた方がありました♪♪
こんなふうに廃物利用して戴けるということは嬉しい事です。

勿論その日も「どうぞ どうぞ☆!!」と差し上げました☆♪

その方、安来の方だそうで、以前この近所に棲んでいらした事があるそうです。
だから「吹野」もご存知で、今でもよくこの辺りへいらっしゃるのだそうです。

「これから当分貰いに来させてもらっていいですか~?!」と
遠慮がちではありますが、積極的に仰るので、「どうぞ(笑顔)構いませんよ~♪」
と言うと、前日とその日の二日分の「ダシガラ」の袋を大切そうに抱え、
丁寧にお辞儀をなさり、帰って行かれました。

これも「リサイクル☆」「エコ☆」ですよね☆☆!
美味しい珈琲を飲んで戴いた後の「夢の後」まで役に立つ!!
珈琲とは何と素晴らしいものなのでしょう☆

少し前の新聞の「健康歳時記」というところで、丸山寛之さんという医学ジャーナリストの方が
こんなことを書いていらっしゃいました。

     珈琲といえばまずカフェインだ。
     目が冴えて、尿の出がよくなる。
     近年、抗酸化作用のあるクロロゲン酸(ポリフェノールの一種)
     のさまざまな健康機能が分った。
     最近さらに新たな物質が見つかり、注目を集めている。
     これまで使われていなかった珈琲豆のかすから、
     味の素ゼネラルフーズの研究チームが抽出した「珈琲豆マンノオリゴ糖」だ。
     
     珈琲オリゴ糖は、甘味は砂糖の5分の1、水に溶けやすく、
     食品の甘味、塩味、酸味、苦味、辛味などをほどよく直す「呈味改善」効果
     があり、熱、酸、光、長期保存に対して殆ど分解をおこさない「安定性」に優れる。

     大腸にそのままの形で入り、悪玉菌には食べられず、
     善玉菌だけの栄養源となり、腸内環境を整える。
     
     体脂肪低減、抗アレルギー、血圧上昇抑制などの作用が証明されて、
     厚生省の特別保健用食品に認定された。

と、いい事ずくめの研究が発表されました☆
珈琲の「ダシガラ」は・・・・・侮れませんよ☆

そして数日後、約束通り、またそのご婦人はいらっしゃいました。
手には、つやつや肌の茄子がたくさん入った袋を携えて☆♪

珈琲の肥料で元気に育った茄子でした!!
「自分で言うのも何ですが、皮も柔らかくて、凄く美味しいんです☆
無農薬で私が作った野菜です。召し上がって下さい☆」とにこやかに話されるご婦人♪

思いがけない収穫を戴きました~♪

その茄子は、早速我が家の食卓に並んでいます。
柔らかく、甘く、とっても美味しいです☆☆
有難うございました~♪

「珈琲屋」のお蔭で、また意外な「ご縁」・・・でありました。

 

 

苦手克服!!

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ちょっと前の話になりますが、
「ゴーヤは苦手!」というお話に登場したSEIさん♪

ゴーヤは絶対無理!!という私に見事完食させるという快挙を成し遂げたSEIさんですが、
そのお話をブログに載せた日が、偶然にもSEIさんのお誕生日だったそうで、
喜びのコメントを戴いていました。

そして、あれ以後ゴーヤを口にしていないという私の告白に、またまた奮起したSEIさん!!
もう一度私にゴーヤを食べさせるぞ!と、また新しい調理法を駆使し、傑作を完成していました☆

その作品が、私のもとへと、ついに届きました☆♪★※#$▲♪

それは、薄くスライスされたゴーヤくんたちの「酢漬け」でした!!
おしゃれな言い方をすれば「マリネ」でしょうか?!
恐る恐る口に運んでみました・・・・・「イケル☆!」
多少の苦味はありますが、「ほろ苦い」程度で、
酸味が程よくその苦味を中和させているのです☆♪

流石SEIさん、恐れ入りました(笑い)!!

一緒に添えられていた、蕎麦羊羹も、胡麻豆腐もどれも「美味☆」  でしたよ~♪♪

これからも、いろいろ新しい料理にチャレンジして、
珍しい、美味しい、楽しいもの 食べさせて下さいね☆

本当にご馳走様でした。
そして、ありがとうございました☆☆

どうぞ体に気を付けて頑張って下さいね。
たまには、珈琲を飲む時間も作って下さいな~♪♪

素敵な奥様にも ヨ ロ シ ク☆♪☆

米子観光大使!!

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「1年ぶりです~(笑顔)」と、被っていらっしゃる帽子を右手で少し持ち上げる仕草で
再会の会釈をしながら入っていらっしゃったのは、瀬尾幹夫さんでした☆!

瀬尾氏は米子出身で横浜在住
名刺には「米子市観光協会 首都圏観光大使」とあります!!

はじめて「珈琲屋吹野」へ訪れて下さったのは二年くらい前でしょうか?!

その名刺は、昨年も戴いたのですが、縦仕様の上半分には
皆生海岸から大山を望む写真が添えられているのですが、今年はその裏に
「阪神ファンに捧ぐ」という見出しで、こんな文章が書かれていました。

米子地方は阪神ファンの多い土地柄として知られる。
1番センター呉、2番レフト金田、3番ライト別当、4番サード藤村、5番キャッチャー土井垣、
6番セカンド本堂、7番ファースト安居、8番ピッチャー若林、他打撃巧者多し、
ラストバッター、ショート長谷川。
あの懐かしい1949年当時ラジオから聞えてきた阪神ダイナマイト打線のオーダーだ。
球団最強か。
同年戦後初来日の米3Aサンフランシスコ・シールズに全日本など連戦連敗。
その中にあってよく打ったのが土井垣だった。折から地方博ブームで50年米子博覧会。
一際目立つは、ミットを構える大きな土井垣像。
土井垣武 旧制米子中学校(現・米子東高等学校)37期。長谷川善三も同38期。
米子東高校に入学し、何が嬉しかったかって土井垣の後輩になったことだった。
学校には土井垣先輩の生家の前を通った。
54年に卒業し半世紀余が経ち遠い昔のことになった。
が、阪神ダイナマイト打線は今でも諳んじている。  少年の夢消えず・・・

私は残念ながら、唯一わかるのが土井垣さん!
後の方はさっぱりわかりません(笑い)
それを今でも諳んじていらっしゃる瀬尾氏がどれ程の「野球少年」であったかが窺えますね☆

そして、ビックリしたのが「米子博覧会」という情報です!!
昭和25年に現在の「湊山公園」で、盛大に行われたそうです☆

帰宅後母に「湊山公園で、米子博覧会があったって憶えてる?!」と訊いてみました。
すると、「憶えてるよ~♪ お父さんと結婚した年だった~♪♪」と懐かしそうに言いました。
挙句、60年前にタイムスリップしてしまった母は
「その頃私に想いを寄せている人がいてね~♪ 一緒に米子博へ行きませんか~って
誘いに来られ、『私結婚したから!!』ってお断りしたのよ」と
遥か昔の、若かりし青春の自慢話まで聞かせてくれました☆♪

話は横道に反れましたが、こうして瀬尾氏は毎年「観光大使」としてのお仕事を果たさんと
横浜から米子へと足を運ばれています。
高校時代の同期との再会も愉しみの一つになっていらっしゃるとのこと☆
76歳となられた現在も、拓殖大学の教授としてご活躍ですが、
少し体調を崩され、そろそろ引退をとお考えだそうです。が・・・
私個人的には、これからも年に一度、米子へ帰って来て戴き、
愉しいお話を聴かせて戴きたいと心から願っています。
健康管理のため、プールへ通っていらっしゃるというお話もして下さいました。
これからもどうぞお元気で、米子の観光大使としてもご活躍戴きたいものです☆♪
また、来年もお会い出来ることを祈りつつ、出会いに感謝・・・


 

機織り

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昨日は、近所で機織を習っている女性が再び立ち寄ってくれました。
これが二度目のご来訪になります♪

最初は忘れもしない7月24日でした!!
なぜこの日付を憶えているかと言うと、その前日の23日に
私も初めての機織体験をしていたからです♪

なので、彼女が初めて吹野へ入って来るなり「今機織を習っていて・・・」
と言った時は、昨日自身も機織をしたばかりだったので、思わず鳥肌が立ちました~♪

丁度出来たての私の処女作を嬉しげにカウンターの上に置いていたので、
得意げにその作品(コースター)を観て貰うと、彼女もその偶然に驚き、
初対面なのに、話が弾んでしまいました♪♪

私の作品も、裂き織りといい、布を裂いて糸状にして織り上げるもので、
私は、服部麻知子先生のもと、ハンカチの半分くらいの大きさの布を
ハサミで糸状に切り、織り上げた物でしたが、
彼女は、おばあちゃんの古い着物を裂き、帯を作っているのだそうです。

昨日は70センチくらいまで織り上がったとのことでしたが、糸(裂き布)がなくなり、
今日のところはお仕舞いにして、切り上げてきたところ、とのでした♪
どんな作品(帯)が出来上がるのか、愉しみですね~☆

一年前に、18年過ごした東京からUターンして来たという彼女。
都会では経験できない「田舎暮らし」を改めて愉しんでいるようです♪
東京の話や、今彼女が携わっている仕事の話などしているうちに、
あっという間に時が過ぎ、いつの間にか閉店時間になっていました。
ふたりとも、時の経つのも忘れて、話し込んでしまっていたようです♪

帯が出来上がったら、是非見せて戴きたいですね~☆
できれば、その着物姿も☆♪


 

たい焼の魚拓?!(ギョ!)

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8月29日(土)~9月7日(月)まで、「丸京庵市民ギャラリー」で
宮嶋康彦氏の「たい焼の魚拓展」が開催されています。

宮嶋氏は、1951年長崎県佐世保市生まれの写真家で、作家でもあり、
東京造形大学の講師もなさっている。
日本カメラ・アサヒカメラ月例審査員もなさっており、ご自身も
「紀の漁師黒潮に鰹を追う」「誰も行かない日本一の風景」「蛍を見に行く」
「この桜、見に行かん」「花行脚・66花選」など、数多く出版していらっしゃいます。

まず、「魚拓」は良く知っていますが、「たい焼」というのに驚きました。
きっかけは、もともと釣り好きで、よく釣りに出かけられるのだそうですが、
そのお供に、大の甘党の宮嶋氏は、いつもたい焼を携えて行かれていたのだそうです。

ある時、釣った魚の魚拓をとっていた所、食べ残しのたい焼くんが一匹、
袋の中から顔を出しており、目が合ってしまった!
その時、たい焼くんが「僕の魚拓もとって~♪」と言っているように見えたのだそうです。

そういえば、こいつだって姿は魚・・・

というので、始められたのだそうです☆

そして、全国のたい焼の魚拓をとって来られたのですが、
ただの「たい焼」ではないのです。
宮嶋氏が「天然物」と命名された、一枚ずつ焼くものを集められたのです。

一般的には、一度に同じ形の鯛が何枚も焼ける「型」で焼きます。
が、探してみると、一枚ずつ焼く昔ながらの「型」があるのだそうです。

それは鋳型職人さんが、その店の注文に応じて、一つ一つ手作りされた物で、
それぞれに、微妙に鯛の形が違うのだそうです!!

それに気付かれた事も大発見ですよね☆!

この鳥取県にも、4店もその「天然物」が見つかったのだそうです☆☆!
ひとつも見つからなかった地もあるそうですから、4つ!というのは凄い!!

今年で、たい焼誕生100年になるのだそうです。
日本にたい焼が誕生するのにもそれなりの「秘話」があったようです。

そんなことも知る事が出来る「たい焼の魚拓展」
是非、出かけてみて下さい。
そして、宮嶋氏の「遊び心」に触れてみて下さい♪