雨のご縁

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先日、「雨宿り」でご紹介したご夫婦の奥様が珈琲豆を買いに来て下さいました。

あの雨宿りの日以降、珈琲が美味しかったからと、時々豆をご購入戴いているのです。
本当にあの突然の大雨には、感謝しなければなりません(笑い)

が、その日は、前日にお買い上げ戴いたばかり! という日、でした。
なので、私が「ん???」という表情を致しましたら、奥様は笑いながら、
「実は、少し前に東京にいる娘から珈琲豆が送られて来たんです。
お母さん、この珈琲美味しいから飲んでみて♪ と・・・
ところが、私にはあまり美味しく感じられず、やはり「吹野」さんの珈琲の方が、
ずっと美味しいと感じたのですが、折角送ってくれた娘には言えず、黙っていました。
そこで、お盆で里帰りした娘に、昨日買って帰った「吹野」さんの珈琲を飲ませましたら、
この珈琲美味しいね~☆と言いまして、これ頂戴♪と、昨日戴いた珈琲の残り全部を
東京へ持って帰ってしまったんです~☆
だから、また買いに来ました(笑い)」と、とても愉しそうに話して下さいました。

突然の豪雨がご縁の「嬉しいお話」でした☆♪

お盆の間は、いつもより少し早く閉店させて戴いています。
お墓に灯を燈しに行かせて貰うためです。
昨日は、6時半頃だったと思いますが、
夕日に染まった大山がくっきりと浮かび上がったように見え、
それはそれは美しく、まるで雲の中に浮かぶ「キリマンジャロ」のようでした☆
自然の成せる技は偉大です!!

もう何百回も何千回も見ている大山ですが、昨日のような色の大山を見たのは初めてでした。
その日の天気によって、その他様々な条件により、その姿は毎日変わります。
本当に、ため息が洩れるように美しい大山でした。
かつては修験道の修行の山だった大山です。
神々しく輝いて観えても不思議ではないような気がします。

この山に、私たちはどれ程守られていることでしょう☆
多くの災害から免れているのは、大山のお蔭です。
美味しい水が飲めるのも、大山のお蔭☆ です。
これ以上切り開くのはやめて、このまま大切にして欲しいと願っています。

 

大切な「記念日」

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昭和56年(1981)8月10日 晴れ
朝から暑い一日の始まりでした。

そうです。この日「珈琲屋吹野」がここ米子の地に産声をあげたのでした。

堅実な公務員だった父は私が珈琲屋を始める事に不安を抱き反対していました。
その父を説得し、自宅を改装して店舗にすることをやっと承諾してもらい、
とうとう開店の日を迎えました。
父と母と三人で、慣れない彫刻刀を手に、指にタコを作りながら彫った看板も掛け、
準備万端でした。  と言いたいところですが・・・
アクシデントは必ず何かあるものです。
作り付けの長椅子 以外の椅子28脚が、開店時間になっても届かないのです!!
急遽、古巣「野村證券」に会議室のパイプ椅子をお借り出来ないかと願いし
快諾戴き、ビルの三階から降ろしてやっと軽トラで店の前まで運んで来たところへ、
まるで時を計ったかのように、発注していた椅子が届く!! 
そんなドタバタがありました(笑い)
また、慌ててパイプ椅子を返しに行く羽目になり、とんだ無駄骨でしたが、
それも今となっては懐かしい想い出です。

東京から駈け付けて下さった私の珈琲の師も汗だくになりながら
椅子運びを手伝って戴き、あれこれ細かい事も指示を出して貰い助けられました。

開店予定時間、11時を少し過ぎてしまいましたが、
次々とお客様がお出で下さり、新前店長と、その両親は、あたふたと動き回り、
お祝いに来て下さった人達の接待とで、あっという間の一日でした。

開店初日を、心配して応援に来て下さった東京の師のお蔭で無事終え、
その夜は両親と四人、駅前のお寿司屋さんで祝杯をあげました。
そして、まだ不安で一杯の両親に東京の師が、
「お父さん、お母さん、吹野さんなら大丈夫ですから・・・
彼女なら絶対大丈夫ですから、安心して、手伝って下さい(笑い)」と・・・。
その一言で、両親もやっと少し不安を払拭したようでした。

そして、その日から毎日毎日、懸命に働く私の姿を見て、漸く父も安心して、
私に全てを任せてくれるようになりました。

その開店の日に来て下さった方の中には、今も変わらずお出で戴いている方があります。
28年という長い月日の間に、沢山の方にお運び戴き、
珈琲屋吹野は今日まで、皆さんに支えられて来ました。
皆さんのお蔭で、この日を迎える事ができました。

開店当時はまだ角盤町は、米子の「中心地」でした。が、今は・・・
人の流れが全く変わってしまい、とても静かな街になってしまいました。
車社会になり、「駐車場が無い」というのも致命傷です。

それでも、わざわざ足を運んで下さるお客様がいて下さる。
これほど嬉しい事はありません。
今後も、初心を忘れず、体が続く限り、更に精進致します。
どうぞこれからも、「珈琲屋吹野」を宜しくお願いします。

 

       感謝状

  あなたは 雨の日も風の日も
  夏の暑さや 冬の寒さにも めげる事なく
  いつも 明るい笑顔と 美味しい珈琲を
  提供し続けて くれました
  お蔭で 学校や 会社での疲れや
  家事 育児の苦労を 吹き飛ばし
  元気を 分け与えて 戴きました
  二十年の 偉業を称え
  これを 表します
        
          平成十三年八月十日
     
         「珈琲屋吹野」ファン一同


8年前、松江から来てくれる寧子さんから、こんな素敵な「感謝状」を戴きました。
嬉しくて 嬉しくて 何度も読み返し、20年を振り返り、涙が出ました。
小さな「感謝状」ですが、その日から私の心の大きな支えとなり、
今も額に入れて飾り、時折眺め、励まされています。
寧子さん、ありがとう☆
これからも頑張ります♪☆♪

8月10日は、「珈琲屋吹野」の生まれた日  開店記念日でした☆!

「アラカン」大学生!

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一月位前になるでしょうか、出来たてホヤホヤの葉書をMさんに進呈しました。
写真と地図入りの「珈琲屋吹野」を紹介する葉書を作って戴いたので・・・
「まあ、素敵!☆!」とMさん、大切に持ち帰ってくれました。

すると昨日、嬉しそうに入って来たMさんが「この間戴いた吹野の葉書を懐かしい校長先生に
お出ししたら、驚いたことに、その先生も何度か吹野に来た事がある」と仰るのだと!☆!

ならば今日、吹野でお会いしましょうということになりました、とMさんのご報告☆
「先生は、今 大学生なんですよ~!☆!」とMさんがカウンターに腰を降ろしながら
話をしてくれているところへ、その「校長先生」ご登場!です☆

何だか、黒いTシャツに目立つ白文字がまず目に飛び込んで来たもので、
ごあいさつもそこそこに、「凄いTシャツですね~!☆」とお声をかけてしまった私。
すると先生、嬉しそうに「これ☆舟木一夫のTシャツ☆~☆」と言いながら
後ろ向きになり、背中のプリントまで見せて下さいました。
とってもお茶目な校長先生です☆

実は校長先生二年前に定年を待たず退職され、広島の大学に入学されたのだそうです!
だから今は、若い人たちに混じっての大学生☆なのです!
けれど、今時のキャンパスは、若い人ばかりではなく、先生よりご高齢の82歳という方も
いらっしゃり、教授の方が若い!という現場のようです!☆!

十年前、Mさんのお子さんが小学生だった時の校長先生だった方で
当時PTAの役員を一緒にしていたという方もご一緒に、三人でのお話は
十年前にタイムスリップして、大盛り上がり☆でした。

PTA役員のお二人の、十年経っても心に残る、とても素晴らしい校長先生だったようです。
昔話や、他の先生方のその後・・・や現在の子供たちの話などに花が咲きましたが、
何より皆が興味深く聴いたのは、先生のキャンパスライフ☆でした。

現役の学生たちと共に学ぼうと思えば、何倍も努力しなければなりません。
ノートも一生懸命、真面目にとります!!
すると、若い学生たちが、ノートを借りに来るのだそうです(笑い)
きっと要点をしっかり掴んだ「はなまる」のノートなのではないでしょうか☆!

「考古学」や「哲学」などと聞くと、羨ましくなりました。
年を重ねてからそういうことを学ぶ事は、若い頃より吸収しようという意欲が違い、
それはそれで、なかなか良い「人生の過ごし方」ではないかと思いました☆

愉しそうにキャンパスライフを謳歌しているように話して下さりながらも、
「若い人たちについていこうと思うと大変で、予習復習してると寝る時間がないですよ~」
などと時々本音も零れました。
でも、それも良い経験だと思うのです。
ご本人もそう思っていらっしゃるからこそ、敢えてその大変な中に
自ら飛び込んで行かれたのだと思います。

しばらくは夏休みで鋭気を養い、ちゃんと「卒業」して戴きたいと心から応援しています。
卒業後の先生の生き方もまた、愉しみですね☆~☆

私も「考古学」や「哲学」の授業なら授けてみたいですね~☆
「試験」がなければ「大学生」やってもいいな~☆   なんてね(笑い)


 

ゴーヤは苦手!!

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SEIさん、「紫陽花寄席」へコメント 有り難うございます♪

お店には、あまり顔を見せてくれませんが、
ブログはいつも見て下さっていると聞いています。
初めてのコメント、嬉しかったですよ☆

SEIさんは、少し前まで朝日町でお寿司と串揚げのお店を営んでいらっしゃいました。
お寿司を握るのがSEIさんで、串揚げは奥様が担当!!

そこで、私は苦手を克服させてもらった事がありました☆
沖縄旅行で、「ゴーヤ」の美味しい調理法を教わって来たとSEIさん!!
そんなことを言われても、絶対ゴーヤは食べれない!と言い張る私に、
「そんな人にこそ食べさせたい!!絶対に食べさせてやるぞ~!!」
と豪語したSEIさんの差し出したゴーヤが、な な なんと・・・苦くないのです☆!
勿論、きれいに平らげました♪
「ワタも食べられるんだよ~☆」と揚げて出て来たワタもペロリと戴きました♪

最後には「ゴーヤのシャーベット」まで出てきちゃいました!!
これは少し苦かったけど、冷たいので誤魔化され、食べる事が出来ました♪

SEIさんは凄い!!
それ以来、一度もゴーヤ食べていません!!

来年の紫陽花寄席、開催が決まり次第お知らせしますから、是非ご参加下さいませ☆♪
(今から来年の話で、鬼に笑われているかも!!)

皆既日食●

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7月22日
みなさんは「皆既日食」ご覧になりましたか?!

私は幸運なことに、数人のお客様と雲の切れ間から、三日月状になった太陽を
とても無理と言われていた肉眼で観る事が出来ました♪

勿論、皆既日食ではないので、「コロナ」も「ダイヤモンドリング」も
観る事は出来ませんでしたが、それでも貴重な天体ショーに、大変感動しました☆!

この辺りでも、雲の所為だけではないような、少し薄暗い状態になりました。
だから、その皆既の帯状の範囲の地域では、本当に真っ暗になっていました!!
悪石島や、その周辺の海上、中国各地では、約6分間闇に包まれていました。

現代の私たちはこれを、「皆既日食」という現象と知っているから、
平然と、愉しく観測する事が出来るのですが、太古の人たちはどうだったでしょう?!

今でこそ日本は先進国の仲間入りをしていますが、その昔、日本は、
中国や、朝鮮半島からの文明を取り入れていました。
それは、古い書物が解明してくれているのですが、中国や朝鮮半島の人々が、
皆既日食を認識していた頃、日本人にはまだその知識が無かったそうです。

ゆえに、白昼急に何分間も突然に真っ暗闇になったら・・・・・
さぞや大騒ぎになった事でしょう!
何か悪いタタリだと思ったかもしれません!

それを、日本に古くから伝わる「アマテラスの天岩戸隠れ」だという方々がいらっしゃいます。
そして、アマテラス=卑弥呼ではないか?!という説が生まれています。
その卑弥呼が亡くなった日(殺されたという説もある)が、紀元248年9月5日
なんとこの日は皆既日食の日と合致するというのです。

当時、中国の思想に「天人相関説」があり、
『天と人の間 すなわち自然現象と人との間に因果関係の存在を主張し、
 自然界の天災や疫病などは 古代中国では 君主の責任とされた』そうです。

というので、白昼真っ暗闇(皆既日食)になったのは、当時の君主卑弥呼の責任
ということになったのではないかと・・・・・

こんなことが「逆説の日本史」という本に書かれていたので、
そんなことも思いながら、今回の日食を魅せて戴きました。
想いを太古の邪馬台国の卑弥呼に馳せて・・・・・

次は26年後だそうです。
それを待つのもいいですが、一度「真っ暗」を経験してみたいという想いもあり、
チャンスがあれば、いつか皆既日食になるところへ行ってみたいとも思う今日この頃・・・
でした♪♪