「おくりびと」

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

映画は大好きです!!
ただ、あまり時間がなくて、
年に1~2度しか映画館へ足を運ぶ事が出来ないない私が、
久々に観たくて出掛けた作品「おくりびと」が
見事 第81回アカデミー賞を受賞しました!!

鑑賞後まず口をついて出た言葉は、
「こんなに笑う作品だとは思わなかった~(笑い)」でした。

勿論それ以上に泣きました。
観終えた時間が遅く、もう外が暗くなっている事に感謝
したくらい、顔はグシャグシャでした。

のっけから、見るからに女性と思われる人の納棺の儀式で
アルコールで体を清めている時、女性にはある筈の無いものが
あることに主人公が戸惑うシーンから始まるのです。

こんな吹き出す場面から、
初めは、納棺の時間に遅れたことで、不機嫌だった
奥さんを亡くしたご主人が、心込めた死化粧に涙し、
今までで、一番綺麗な妻を観た・・・と
頭を下げて礼を云い、

亡くなったおじいちゃんに、
奥さん、娘、孫 が、みんなでおじいちゃんの顔じゅうに
真っ赤な口紅のキスマークをつけて、
泣きながら笑うシーン、

お世話になった、お風呂屋のおばちゃんを送る時は、
おばちゃんがいつも首に巻いていた、
お気に入りのスカーフをそっと巻いて・・・

最後には、子供の頃、母親と自分を置いて
出て行った父を送ることになるのですが、
その父親の手の中にしっかりと握られていたのは
幼かった主人公が河原で父に送った「石」だった・・・

すべての儀式の本木君の所作が本当に美しかった!!

脇を固める、山崎努氏や笹野高史氏も素晴らしく、
日本には、まだこんな古風で奥床しい儀式があるのだということを
この映画を観て、初めて知りました。

今朝のTVで、この映画を観て、納棺の仕事をしたいという人が、
求人を見て、応募してくるようになった、と報じていました。
是非、これからの人たちに、この儀式を受け継いでいってもらいたいと
願って止みません。

少し前、日本の政治家が、全世界へ醜態を晒しました。
その汚名返上が出来たかもしれません。

 

 

土曜会

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

一昨年の12月のことでした。
黒い礼服に身を包んだご婦人が、会釈して入ってこられました。
「ご無沙汰してます。以前、[土曜会]でお世話になっていました○○の娘です」と・・・
[土曜会]という言葉が、私をタイムマシーンに乗せ、過去へと連れ戻して行きました。
もう10年くらい前になるでしょうか・・・

帽子にステッキ、という古き良き時代の紳士、といった出で立ちの八十歳代の方と、
そのご友人とお見受けする方がご来店になり、
突然ですが、週一回ここで仲間との集まりの会を持ちたいのだが、
ご迷惑でなかったらお願いしたい、と・・・
これまで利用させて貰っていた店が、ご高齢になられ閉められることに。
代わる場所を探していたところ、吹野はどうか?!
という提案があり、お願いに来たところです と。

勿論お断りする理由など何もありません。
そちらの迷惑にならないよう、何なりと条件を出して下さい。
珈琲代以外に、場所代も別にお支払いします。
と、言って戴きましたが、そんなお気遣いは要りません。
どうぞ!!と申し上げると、
では、次の土曜日から宜しく! ということになり
それから、毎週土曜日の十時半になると、
少ない時は四~五人、多い時は十人位になる「土曜会」が催されるようになりました。

かつての職場のご同僚で、そのステッキの御大とその部下だった方々のお集まりでした。
が、かつての上司と部下、という垣根は全く無く、同じ時代を生きた同士という
和気藹々としたお仲間で、いつも昔話に花が咲いていました。
そして、締めくくりは、いつも御大のこんな一言でした。
「君たちはいいよ。女房がいて・・・俺はひとりで寂しい・・・」と・・・
御大は数年前に奥様を亡くされ、その御大をお慰めするためにと 始まった「会」でした。

だから、この土曜会を一番愉しみにしていたのは御大でした。
十時半からの集まりなのに、待ちきれず、
十時頃にいらしては、「みんなはまだか!!」と急かされ、
「まだ時間になってませんよ~(笑い)」と言っても納得されず、
「R君に早く来るように言ってくれ!!」と電話をさせて戴く事も屡
そのうち、待ちきれず、なのか、時間を間違えていらっしゃるのか、
わからないようになって来ました。

みなさんご高齢になられ、集まられる人数も減り、
家族の付き添いが無ければ吹野へ辿り着けない
という状態になられた方も・・・
喪服の女性は、その時お父さんに付き添っていらしていたお嬢さんでした。

結局、御大が体調を崩された事で、閉会を余儀なくされ
毎週土曜日に皆さんのお顔を見ることは叶わなくなりました。

あれから何年経ったのでしょうか。
喪服のご婦人はその日、お父様の四十九日を迎え、
ふと、吹野を思い出して下さり、
「お礼を言いたくて・・・」と訪ねて来て下さいました。

御大が倒れられてからも、土曜会のお仲間は病床に集まり、
いつも吹野の話をして下さっていたそうです。
だから、どうしてもここへ来たかったんです!!

そう仰りながら、懐かしそうに吹野の店内をぐるっと見回し、
そこに在りし日の父上の姿を重ねていらっしゃるようでした。

その後、後を追うように亡くなったRさんの奥様と
Rさんの一周忌の法要の後、お立ち寄り下さり、
先日は亦、Rさんの奥様と供に、
昨年9月に亡くなった御大のご仏前にお参りされたお帰りに
お二人で立ち寄って下さいました。

土曜会が幕を閉じた今も尚、そのお嬢さんが、
その縁をしっかりと引き継いでいらっしゃる事を
きっと、皆さん、あちらで嬉しく思っていらっしゃるでしょう!

素晴らしい娘をもってしあわせなお父様です。

いつも御大が帰り際、カウンター越しに右手を差し出され、
私に握手を求められるのが恒例となっていたのですが、
ある時、その後ろに続いていらしたそのお父様が、
「それじゃ~私も・・・」と恥ずかしそうに右手を出された事を
懐かしく思い出しました。

みなさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。


 

「アラフォー」

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

昨年の6月、「紫陽花寄席」と題して
珈琲屋吹野で寄席を催すことになった。
その企画をして下さり、桂まめださん という
若手噺家さんを紹介して下さったのは
奈良県にある、飛鳥藍染織館の館長 渡辺誠弥さん。

3年前にも、鈴木昭男さんというアーティストを
ご紹介下さり、吹野で演奏をして戴きました。

いつも唐突に電話があり、
あれよ あれよという間に
渡辺氏が敷いたレールの上を
なんだか必死に走ってる・・・という感がありますが、
そのお蔭で、本当に思いがけない
愉しい経験をさせて戴いています。

その渡辺氏と先日電話にて・・・
 私「ねえ、渡辺さん アラフォー って知ってますか?!」
渡辺「ああ~聞いたことあるな~・・・何のことだい?!」
 私「去年の流行語大賞にもなったんだけど、
   40歳前後の人のことをアラウンド フォーティ
   略してアラフォーっていうんだけどね」
渡辺「なるほど~(笑い)」
 私「でね~50歳前後のことは、アラフィーって言うんだって!」
渡辺「ふ~ん」
 私「じゃあ60歳前後は なんて言うか?!
   ア ラ カ ン って言うんだって!!(笑い)」
渡辺「・・・還暦か~!(笑い)」
 私「そうそう(笑い)」
流石!!渡辺氏、解かりが早い!!
この、アラカンには、私たち古い世代には懐かしい響きがある。
その昔、嵐寛十郎という超有名な役者さんがいて
その人の名を略してア ラ カ ン と言ったので、
それを知っている世代だから笑える話(オチ)でした!

ここで私の「面白い話」は終わり!!だったのです。

が・・・一筋縄ではいかない渡辺氏!!
「じゃあ70歳前後は?!」と問うて来た!!
「ええ~○×?△#□%▼♪◎」と
思わぬ問いかけに戸惑う私に
「アラ~エッサッサ~  か?!」と
受話器の向こうで笑う渡辺氏!!
この発想には脱帽です!!

更に「アラ マア~ってのはどうだ?!」には、
私も吹き出してしまいました!!

この素晴らしい提案を無にしたくないので、
私たちは、こう定めました。

70歳前後を「アラ マア~」に!

80歳前後を「アラ エッサッサ~」に!

渡辺氏は、いつもこんな風に
「生きている」ことを愉しんでいらっしゃいます。
いや、愉しもうとしていらっしゃる
と言った方がいいかもしれません。

渡辺氏に感化され、私もそんな風に生きています。

この続きは、みなさんで考えてみて下さい!!

愉しいネーミングしてみて下さい!!

 

 

 

大脱走!!

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

「このクッキーを見ると、あのおじさんを思い出すよね・・・」
カウンターに座り、その中央のカゴの中に並べてあるクッキーを見つめ、
そう呟いたのは、近くの薬局のオーナーでした。
『あのおじさん』というは、近所にいらした優しいおじさんのことでした。

 お酒と煙草が大好きで、ほんのり紅く染まったお顔で登場される事もありました。
「猫舌だから」と、冬でもアイスコーヒーでした。
糖分の制限もあったようでしたが、どうしても我慢できない時は、
そのクッキーを召し上がっていました。
そして、そのクッキーは、時に、手土産として、
日頃お世話になっているその薬局へ持参されていたお菓子でした。

少し体調を悪くされてからは、煙草にもお酒にも、ドクターストップが!!
それでも、大好きなものは止められず、部屋でこっそり吸ってたら、孫に見つかってしまい、
「じいちゃん、煙草は いけんよ~って叱られまして!!ここで、隠れ煙草ですわ~(笑い)」
と言いながら、ポケットから煙草を取り出し、嬉しそうに一本燻らせ
至福の時を過ごしていらっしゃったこともありました。
そんな大好きなものを、止める事は、私には出来ず、
「おじさん、本数は減らしましょうね~(笑い)」っと、
そっと灰皿を置いたことを思い出します。

ある日、近所の方から、おじさんが検査入院をされたらしいという噂を耳にしました。
具合が良くないのかな~と心配をしていた、その翌日です。
当のおじさんが、ニコニコ入って来られるではありませんか!!
「あれ!おじさん検査入院って聞いたけど、もう退院ですか?!」と、仰天する私に、
「脱走です(笑い)!!退屈だから脱獄して来たの(大笑い)!!」っと、

親の目を盗んで逃げ出すことに成功した、いたずらっ子のように
肩をすくめて笑いながら、いつもの小箱を取り出すと
ショートホープに火をつけ、幸せそうに煙を満喫していらした姿が、
まるで昨日の事のように思い出されます。

それから数ヵ月後、訃報が届きました。

出棺をお見送りする時、私の瞼に甦ったのは、
少し頬を染め、ご機嫌で煙草を燻らせていらした笑顔でした。

少し経った頃、おじさんの息子さんにお会いした時でした。
「父の遺品を整理していたら、日記のように記していたような手帳が見つかりました。
開いてみると、[○月×日 珈琲屋吹野へ行く][○月×日吹野へ行った]と
毎日 毎日 毎日 ずっと書いてありました・・

家族が忙しくて構ってやれなかった そんな日々を、吹野さんで過ごさせて
もらっていたことを・・・知りました。
ありがとうございました・・・」と頭を下げられ、胸が熱くなりました。
おじさんの寂しさを紛らすお手伝いが出来ていたのかな~と
空を仰いで見ました。

暖かい季節には、私が店を閉めて帰る頃、よく玄関先に出ていらして、
「お帰りですか?! お疲れ様~気をつけてお帰りなさい!!」とか、
coffee.gif「今夜は月が綺麗だよ~」などと声を掛けて下さり、
一緒にまん丸なお月様を見上げた事もありました。

そういえば、お食事やカラオケに誘って戴き、
自慢の十八番を披露して戴いたこともありました。
フランク永井さんの、「有楽町であいましょう」
だったように記憶しています。

今は、あちらで、先に逝かれた奥様と再会し、
仲良く、お酒と煙草を愉しんでいらっしゃるのではないでしょうか。

どうぞ、空の上から見守っていて下さいね!!
もう、脱走したりしないで・・・

 

続 親孝行!

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

気になっていたお二人が、新春早々ご来店下さいました。
「親孝行」の章で紹介させて戴いたあのお二人です。

店の前に車が止まり、何やら人の動く気配に
慌てて飛び出してみると、やはり旭さん親子でした。

相変わらず、お母さんを手際よく椅子に降ろすと
「車を置いてきます!」と言い残し出て行かれ
お母さんは静かに腰掛け待っていらっしゃいました。

数年前からパーキンソンという診断を受け
その治療をしながらも、お母さんの要望で
あちこち旅を続けていらしたようです。

「この間は金毘羅さんに行って来たんですよ!」
と、笑顔で息子さん。
「籠で・・・ですか?!」と問うと
「いえ、背負って です(笑い)」と仰り仰天!!
金毘羅さんの計らいで、途中までは車で、
後の残りを、背負って登られたのだそうです。

それほど険しいわけではありませんが、
階段の多い事で知られている名所です。
それも、奥の院まで!!

流石に奥の院の手前で、もうここまでにしようと
思われたそうですが、お母さんは心残りの様子で
ひとり、這ってでも上がろうという仕草をされるので
忍びなくお参りの決意をされたそうです。

よくもまあ、それだけの体力がお有りですね~と
感心する私に、「大学時代、ワンゲルに所属していて、
当時いつも30㌔くらいの荷物を背負って登山していたので
結構慣れているんですよ~!」と事も無げに仰る。

世のお父さんお母さん、将来を見据えたら
子供は是非山岳部に入れる事をお薦めします!!

そんな話を聞いていらっしゃるお母さんはその心強い息子さんに
珈琲とケーキを口へ運んでもらいながら、幸福そうな笑顔でした。

昨年ブログにお二人の事を書かせて戴いた事をお話したところ
早速そのブログにユーモアたっぷりのコメントを下さいました。
ありがとうございました!!

私も十年以上前になりますが、
金毘羅さんにお参りした事があります。
闘病中だった父を連れて行ったのですが、
残念ながら、旭さんのように
背負って登ってあげる事は出来ませんでした。
山門近くの土産物屋の長椅子に腰掛け、
私達がお参りし降りて来るのを待っていた
父の姿を、ふと、想い出していました。

旭さん、大変でしょうが、
これからもお母さんの笑顔を守ってあげて下さい。
「親孝行」心より応援しています!!