秋も深まり、街路樹も色づき街がセピア色に染まる私の好きな季節になりました。
空気も乾燥して、先日は一部地域に乾燥注意報が出ているとカーラジオが伝えていました。
そんな日は、珈琲がとても心地よく膨らみます。挽きたての珈琲豆(粉)が、熱いお湯を優しく注ぐことで、幸せそうな顔をして、
ふわ~っと膨らみ微笑みかけて来ているようで、見るからに美味しそう!!なのです。珈琲豆は湿気を嫌います。
ですから、湿度の高い夏場や、特に梅雨時は、非常に「珈琲職人泣かせ」の季節となります。
なので、空気が乾燥し始めるこの季節は珈琲豆の保存には大変条件の良い季節ということになります。でも、よく膨らんでいれば美味しい!というわけではありません。
乱暴に勢い良くお湯を注いでも珈琲豆は、よく膨らむからです。
けれど、それでは珈琲の旨みが完全に抽出できていないので、
折角の美味しさが半減してしまい、勿体無いですね。季節に関係なく、新鮮な珈琲豆なら優しくお湯を注げば美味しく膨らみます。
が、空気が乾燥しているこの季節は更に美しく膨らむのです。珈琲豆は、生鮮食品だと思って下さい。
というわけで、この季節は、「さあ~いくよ~」と
ポットから、ゆっくり珈琲豆(粉)を叩きつけないように、
そ~っと熱~いお湯を注ぐと、
珈琲の方から、まるでお湯を押し返して来るが如く、モコモコと膨らんで来るのです。
この感触(手応え)が何ともいえない感動なのです!!一年ほど前から、よく足を運んで下さる、豪快なご老師がいらっしゃいます。
ある日、持参して来られた雑誌を開いてご覧になっていらっしゃる時でした。
他の席の片付けを終え、後ろを通りかかった折、偶然目に入ったのが、
奈良県 秋篠寺にある、私の大好きな仏像「伎芸天立像」のお顔!!でした。嬉しくて、思わず「まあ~伎芸天 ですね~!」とお声を掛けてしまいました。
びっくりしたように、振り返って私の顔を見上げる老師、
「よくわかりましたね~!!」と驚いた顔。
「大好きなんです。数年前、秋篠寺へお会いしに行ったんですよ!」
と私が言うと、更に驚いた顔をされ、
「それにしても、この写真を見て、すぐに伎芸天と判るなんて、あなたは只者じゃないですな~」
と仰るので、今度は私が大慌てです。
「私は只者です!!伎芸天が好きだから、すぐに判っただけの事。
他の像を見ても何も判りませんよ~!判るのは唯一伎芸天だけなんですから~!」
と言い訳をしても、老師には、一見若そうに見える私が、
老師には、一見若そうに見える(?)私が、仏像に興味があるということが、
とても意外なことだったようでした。それから、毎週発売になるその雑誌を購入すると、本屋さんから吹野へ直行し、
真新しいその雑誌の中の仏像を、私に拝顔させて下さるのでした。
そしてその日も、いつものようにお出でになると、
「今日も家元の珈琲を戴きに来ましたよ~!」とニコニコ入ってこられました。
「え~っ!家元なんてとんでもないです!!」と恐縮する私に、
「何を言ってるんですか!この珈琲はあなたしか点てられない珈琲ですよ!
だから、あなたは[吹野流の家元]なんですよ!!」と言い放つと「はっはっは!」
と豪快に笑いながら、私の珈琲を召し上がって下さいました。
そして、
「今日も家元の珈琲は、美味しゅうございましたよ~」と言い残し、帰って行かれました。なんと、身に余る光栄なお言葉・・・
胸が詰まりました。
辞書をひくと、[家元]=その流派の芸道を受け継ぐ本家(の当主)
と、ありました。
これから、[家元]の名に恥じないよう、益々精進しなければなりません!!
4日付けの日本海新聞に、「よなごしんきんふれあい健康ウォーク 深まる秋を満喫」という記事が、写真と共に掲載されているのを見つけ、昨日の方々は、この催しの帰りだったのだと気付きました。
定年退職後のひとつのライフワークとして、仲良くウォーキングを愉しんでいらっしゃるご夫婦が、その途中や帰りによくお立ち寄り下さっていました。
この頃おみえにならないけど、どうしていらっしゃるだろう・・・と思っていたら、休日の出先で、ばったり奥様にお会いしました。2年前の梅雨でした。その日はご主人ではなく、お嬢さんとご一緒にお買い物!でした。
奥様も私に気付かれたので「こんにちわ!!お久し振りです、お元気ですか~!!」と声をかけたものの、心の片隅で、ざわつくものがありました。
笑顔で歩み寄りながら、奥様の顔が曇り始める。たぶん、それだけで、もう私は悲しみが込み上げて来ていました。
だから、奥様の口から「実は、主人、亡くなったんです・・・」という言葉が終わらないうちから、涙が溢れて来ていました。
私が涙を見せてしまったから、奥様も我慢していらしたものが込み上げて来るように、みるみる瞳が潤み、人目憚ることなく二人で泣いてしまいました。
一見頑固そうに見えるけれど、とても優しく、面白いことを云って笑わせて下さるご主人でした。
時には、ご自宅からの数キロを、事も無げに歩いて来て下さっていました。
服装も靴もばっちりウォーキング仕様の出で立ちで、どこへでも歩いて行くのが当たり前!というお二人でした。
歩く会の方々との、万歩計の歩数競争があるらしく、「ちょっと今週は3000歩負けてるから、もう少し歩かないといけないんだ!!」などと仰って、本当に歩くことを愉しんでいらっしゃいました。
いつも、それに寄り添い歩いていらした奥様の悲しみが、私を泣かせていました。
「また、行かせて貰いますから・・・」と、奥様は仰り、その日はお別れしたのですが、暫くはいらっしゃらないだろうと思いました。
吹野へ一歩足を踏み入れれば、ご主人を思い出さずにはいられないから・・・
辛いだろうから・・・
やはり、暫く姿を見ることはありませんでしたが、ある日、他のウォーキング仲間と一緒に来て下さいました。
元気を取り戻して、また、こうして歩き始めていらっしゃるという事が嬉しかった。
その時も、また二人とも顔を見るなり涙が溢れてしまいました。
そして、2年の月日が流れ、先日、健康ウォーキングのお帰りに、大勢のお仲間と一緒に来て下さいました。
やはり、私と顔が会うと、笑顔が涙でくしゃくしゃになる奥様。
でも、ここで私まで泣いてはいけない!!と、グッと堪え、精一杯の笑顔でお迎えしました。
「泣かないで下さい。私も我慢しますから!!」と言うと大きなタオルでなみだを拭き、笑顔になって下さいました。
お帰りになった後、泣いてしまった事は内緒!です。
♪上を向~いて 歩こ~う
涙がこぼれないよ~うに
歩~く 秋の日~ ♪
奥様の心の傷のかさぶたが 早く傷を覆ってくれますように!
先週の休日に、倉吉へ行って来ました。
目的は、岩合光昭氏の写真展「ふりむけば猫」を観る事。
もう一つは、清水庵で、餅しゃぶを食すこと!!
お昼過ぎに到着、まずは腹ごしらえにと清水庵へ向かいました。
ここの、トロトロに蕩ける、薄く切られたお餅が大好きで、倉吉へ来ると、必ずと言っていい程ここへ立ち寄ります。
古い町屋のその建物もお気に入り!!なのです。
この日は、写真展のせいか、はた亦観光シーズンのせいなのか、超満員で、順番待ちをしている人までいる。
たまたま、運良く丁度お帰りになる方があり、私たちはすぐに座敷へ通されたのですが、その後も、続々おみえになり、庵の方はてんてこ舞いでした。
腹ペコの私たちのもとへ、漸く餅しゃぶセットが運ばれてきた時は、思わず拍手してしまい、「こんなにお待たせしてるのに拍手で迎えられたのは初めてです!有り難うございます~!!」とスタッフの女性に恐縮されてしまいました。
相変わらず美味!!
繁盛すると、味が落ちる!という哀しいお店があったりしますが、お出汁も変わらぬ美味しさで、早速お餅をしゃぶしゃぶと2~3回鍋の中で揺らすと、もうトロトロになるのをそっと、素早く口へ運ぶと、餅好きには堪らない食感が広がります。
食後にと注文していた橡餅ぜんざいも、呼び鈴を押して下さい、と言われていたもののお忙しそうなので、お手隙になるのを待とうと思い様子を窺っていると、それと気付いたスタッフの方が「そろそろお持ちしましょうか?!」と気配り。すぐにアツアツのぜんざいが、笑顔と共に運ばれて来ました。
偶然そこで写真展の前売券もゲット!!それも、前売券を購入すると、お食事代も割引になるという思わぬオマケ付きで!!
そこからは、歩いて赤瓦の写真展会場へ。
アートハウス夢扉と赤瓦一号館ギャラリーの二箇所で開催されていて、まず赤瓦一号館へ・・・
入り口の床には猫の足跡シールが会場内へと向かってペタペタと続いているという細かなアイデアも!
写真は、日本海新聞等で紹介されている通り、猫がいっぱい!!です。
ふと、どこかの路地に足を踏み入れた時、何気なく見かける風景。
人間の暮らしの中に溶け込んで普通に暮らしている猫たちが、自然に表現されていました。
岩合さんは、猫だけでなく、タンザニア・セケンゲティ国立公園で野生動物を撮影され、「ナショナルジオグラシック」などにも特集されていらっしゃる、世界的に著名な写真家です。
岩合さんが、どれだけ動物がお好きか、猫たちの表情を見ると解かります!!
よく、これだけのショットを、野良猫が撮らせてくれたな~!と感心するばかり!!
自然な猫の仕草に心が和みました。
みなさんも是非出かけて見て下さい。
記念に購入した、フォトポストカードや、ファイルケースを入れてくれた袋は、新聞の折込チラシを再利用したもので、「エコ」も感じられました。
写真展のチケットを提示すれば、その他の赤瓦各店で色々なサービスが受けられます。
町全体で、この写真展を盛り上げようという意気込みが感じられ、素晴らしいと思いました。
猫派、犬派とあるようですが、私はどちらも好きです。特に仔猫、仔犬!!
あなたは、どちら派?!
あれは、いつのことだったろうかと、古い日記を開き探してみると、
それは、2006年の10月29日のページに綴られていました。
いつもと変わらない朝を迎え、いつものように開店準備を終えた頃。
一組の男女がおみえになりました。
女性は見覚えのあるお顔でした。
お冷やの用意をしながら思い巡らしてみると、すぐにもう少し幼い顔の彼女が浮かび上がってきました。
5~6年前になります。
まだ、彼女が医学生だった頃、よくご両親と一緒に来てくれていました。
毎週末のように、ご両親が東京から娘に会いに来ていらして、そして、午後のひと時を珈琲屋吹野で寛いで戴いていたのでした。
オトナシイお嬢さんと物静かなお父さん。
お母さんも静かな方でしたが、そんな事情を話して下さったのは、お母さんでした。
とても、仲の良いご家族で、いつも微笑ましく思っていた事を憶えています。
そして、卒業の春、お母さんが「これで、ここへ来る事がなくなると思うと、とっても淋しいです。
米子へ来て、ここへお邪魔するのが愉しみでした。ありがとうございました。お元気で!!」と言い残し、米子を後にされたのが、ついこの間のように、甦って来ました。
思えば、その頃お話するのは、専(もっぱ)らお母様で、彼女と話した事は無いような気がしました。
その彼女が、口を開きました。
「この度、結婚しました。主人です!!」と、テレながら隣の男性を紹介してくれました。
「おめでとうございます!!」と思わず歓声を上げると、ご主人が徐(おもむろ)に、
「実は、これが僕たちの新婚旅行なんです!!
彼女に、どこに行きたいかと尋ねたら、米子に行きたい!!って言うんです。それで今、米子空港に着いて、まず行きたいところがあるから!と言われて、連れてこられたのが、ここでした!!」と・・・
迂闊にも、涙が出てしまいました。
青春時代、学生時代を過ごした「米子」を新婚旅行先に選んでくれただけでも、とても嬉しいのに、更に、まず一番に吹野に行きたいと言ってくれたことが嬉しくて、胸がいっぱいになりました。
在学中の数年間、何をして差し上げたわけでもありません。
それこそ、言葉を交わしたわけでもないのに、吹野を想い続けていてくれたことが、とても嬉しく、
感激しました。
それから、「お店の中の写真撮らせて戴いていいですか?!」と、二人で嬉しそうにあちこちにレンズを向けシャッターを切ると、「すいません、一緒に撮らせて戴けませんか?!」というお言葉に、彼女と並んで、記念の一枚をご主人に撮って戴きました。
今度は私が申し出て、お二人の新婚ホヤホヤの記念写真を数枚撮らせて戴きました。
「両親にも、吹野さんの写真を必ず撮って来るようにと頼まれました。
この写真が両親への一番のお土産になると思います。いつも吹野さんの話をしていて、亦行きたいね~!と、話してたんですよ!!」
という彼女の言葉に、胸を熱くしながら、その時私の瞼の裏には、はっきりとご両親の顔が浮かんでいました。
次は、大学のキャンパスへ行ってみます。と、仲良く出掛けて行きました。
きっと、そこでも、懐かしい人々との再会があったことでしょう。
清々しい風が吹いていました。
どうぞ、ふたりがいついつまでも し あ わ せ でありますように・・・
ご両親は「吹野」の写真を喜んで下さったでしょうか?!
また、いつか、みなさん一緒に来て下さると嬉しいですね!
その時は、彼女の腕の中に幼子がいたりして・・・
また、孫が増えますね!!!
♪ 袖擦り合うも多少の縁
古(いにしえ)からの伝え通り
この世で出会う 人とはすべて
見えぬ糸で 繋がっている
天が描いた シナリオに沿い
あなたと私 知り合うの
時に愛して 時には泣いて
やがて かたい絆へと・・・
どんなに細い 縁(えにし)の糸も
物語 運んで来る ♪♪♪
この秋から始まったNHK朝の連続ドラマで、松江を舞台にした「だんだん」の主題歌の歌詞です。
神話の国、出雲で生まれ育った 竹内まりやさんだからこその歌詞ではないかと思います。
私も、この世で出会う すべての人とは、見えない糸で繋がっている と、思っていて、もっと言えば、前世で関わりのあった人達 だと思っているんです。
もちろん「前世」はある!と思っている派 です。
珈琲屋吹野という「場」を借りて、出会えた多くの方がいらっしゃいます。
その中で、深く関わっていく方があり、そういう方々との「縁」をいつも感じています。
この人と出会えて心から良かった、と思える人もありますが、中には、なぜこの人と??という方もあります。
それは、「きっとこの方には、前世でとてもお世話になったのだろう。だから今生で、そのご恩返しをさせて貰うんだ」と、勝手にそんなふうに思って、お付き合いさせて戴いています。
そんなふうに考えてみると、人との出会いや、関わりが、とても興味深いものになっていきます。
だってそうでしょう!!
普通に暮らしていたら、出会いそうも無い、何の接点も無い人と出会い、心を許しあえる存在へと導かれていくのですよ!!
幸せな事に、吹野へは、全国から、旅の情報誌や、このようなネットを見て、訪ねて来て下さる方がいらっしゃいます。
遠くは、北海道の旭川からも、二度もご来訪戴きました。
この旭川の森田さんという方には、「僕は、喫茶店はその地の文化を表すものだと思っています。
米子に吹野がある。米子の文化を担っていると思って頑張って下さい!!」
と、こんな光栄な言葉を戴きました。
いつも、この言葉を胸に、今日も笑顔で、皆様をお迎えし、また、新しい出会いに心躍らせています。